あれは夏子おばさん?と思いながらも、矢の製作を続けます。
羽根にアオサギの羽を使います。
矢が完成し、さっそく試し打ちをしようと、弓を引くと。
羽根が動き出します。まるで飛びたくてしょうがないかのように。
そして矢がビュッと勝手に飛んでいきます。
矢はまるで羽で飛ぶかのように。勢いよく壁に突き刺さります。
唖然とする眞人。
深く刺さった矢を抜き、矢を手直しする。その時に手が机の上の本に当たりバサバサッと崩れ落ち
床の本を片付けていると。1冊の本が
母のひさこが書いたものです。昭和12年。
太平洋戦争は開戦が16年です。ひさこが亡くなったのは戦争3年目ですから18年です。なぜ亡くなる6年も前に書いたのでしょうか。この本を眞人が読めるぐらいの歳になればひさこが自分でこれを読みなさいと言えばいいはずです。でもそれができないことはひさこにはわかっていました。だいたいいつ頃自分が死ぬのか知っていたのです。どうして知っているのかは、この先に明らかになります。
母さんが僕あてに残してくれたんだ。
この場面、とてもいい音楽が流れています。
お母さんの思い出が涙になって溢れます。
「奥さま~」「奥さま~」
「どうしたの?」「奥様がお部屋にいらっしゃらないんですよ」
「僕も行く」
「さっき森のほうへ行くのを見たんだ」「お嬢様が?」
「随分前だよ。まだ明るかった。森の中に行ったんだよ、きっと。」「今日はアオサギがいないんだ。変だよ。行こう」「えっ」
「もう戻りましょうよ。お嬢様がこんなところへ来るはずありませんよ」「来たくて、来たんじゃないと思う」
つまり夏子の意志ではなく、弱っている心につけこんで眞人を呼び寄せるために操られていると言っているのです。
明かりが灯る瞬間を描くために全点灯を描いてから、明かりを消していきました。
門にはFecemi la divina potestate と書かれています。きっと何か意味がると思い調べましたら、四世紀初めに書かれた、イタリアの詩人ダンテの「神曲」地獄編からの引用だとわかりました。
意味は直訳では私に神聖な力を与えてくれたですが、聖なる威力、比類なき智慧という風に解釈するようです。そこからこの門は地獄の門だとわかります。地獄編の一説に「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」とあります。ダンテのいう地獄とはどこを言っているのか。
私の解釈はこれ以上の快楽、強欲、堕落の追求(文明の発展)の行く先は地獄しかないということ。今の私たちの現在を言っているのかと思いました。違うかもしれませんが・・
もうジブリの域を超えていますね。見た人がほぼ気づけないような仕掛けがたくさんあります。
こんな素晴らしい作品を残してくれた宮崎監督、ジブリスタッフに心から感謝します。